2013年 8月 10日 - 12:53am

12雄新堂

雄新堂

明治の頃、駄菓子屋からスタート、昭和38年から菓子業を営んできました。震災前、いちごショートケーキなどは、1個200円という安さでした。昭和の頃、店の隣の佐又酒屋さんでは飲み屋を営んでおり、その前にバス停がありました。仕事帰りのお父さんがちょっと一杯ひっかけて、気分良くバスを待つ間、家で待つ家族のためにケーキを土産に買っていく人が多くいたそうです。お父さんの限りあるお小遣いでもケーキが200円なら5個は買っていってあげられる。それを思いやった店主が、基本のケーキだけは金額を変えずにがんばっていました。それゆえ「バス停」、「お酒」、「ケーキ」がきりこになりました。震災後も格安のおいしいケーキと、父親が作っていたパンを復活させて、町の人たちを喜ばせています。パン作りのためにご主人は7ヵ月以上、毎朝午前3時起きで一関のパン屋に修行に通ったそうです。南三陸さんさん商店街のお店では、おいしいパンと洋菓子が大評判です。地元のみなさんも観光客も足繁く通うお店として、親しまれています。

2010年取材ときりこ:阿部英恵
 2012年取材:吉川由美

震災前の様子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 12:50am

11佐良スタジオ

佐良スタジオ

昭和47年に創業した「佐良写真屋」。先代はカメラの趣味が高じて脱サラし、このスタジオを開店しました。当時は一般の人たちにもカメラが普及し、カラー写真も出始めた時代。町内に愛好家が多かったこともあり、主催した撮影会は大成功だったそうです。「この仕事をしなければ出会えなかった人たちがたくさんいます」と震災前に、二代目のご主人 信一さんは話しておられました。「自分にとっては何百枚もの写真だけど、誰かにとっては大切な思い出の一枚になる。」 震災直後から、信一さんは南三陸の人たちの姿を撮影し続けてきました。それがすばらしい写真集「南三陸から」にまとめられ、全国、世界の方々が、信一さんの写真を通じて南三陸に関心を寄せていただくことになりました。写真展は海外でも行われています。まさに写真を通して、たくさんの人たちと南三陸町を信一さんはつないだのです。写真を通してたくさんの人とのご縁をつないでいく様子を、2010年にきりこにしました。南三陸さんさん商店街で営業中です。

2010年取材ときりこ:故 阿部亜紀・佐藤美枝
2012年取材:吉川由美

震災前の様子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 12:46am

10阿部茶舗

阿部茶舗

明治41年創業。今年で104年になります。今の社長が4代目。初代は大正時代から砂糖・油・水あめ・粉・でん粉・小麦粉・缶詰などを販売していました。その頃、郵便物も扱っていたことから、店の前にはクラシックな赤い郵便ポストがあったのです。震災前は3代目のおじいさんがお店に出ていました。「元気の秘訣は、お茶を食べること」と教えてくれました。茶葉をブレンドすることを合組というのですが、そのブレンドの仕方でそれぞれのお茶屋さんの味が決まります。静岡から茶葉を取り寄せ、香り、コク、番数(何回目に入れた時にどんな味が出るか)、色などを考えてお茶をブレンドするのだそうです。震災後、元々のお客さんから、「あんだんどごのお茶の味が恋しい」と言ってもらえた時は本当にうれしかったそうです。南三陸さんさん商店街に再開したお店では、抹茶ソフトクリームなども大人気です。

2010年取材:佐藤由貴・佐藤 彩
 2012年取材:渡辺祥子
 2012年きりこ:吉川由美

震災前の様子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 12:43am

09フレンズ

フレンズ

昭和53年に開業。店名の「フレンズ」は、映画好きだったご主人が好きだったフランス映画の題名からとりました。でも、子供たちに名前の由来を尋ねられた時は、「友達」の意味だよと答えるそうです。答えるそうです。当初はファンシー雑貨や駄菓子、おもちゃ等を扱っていましたが、お客様のニーズに合わせて文房具や事務用品を扱うようになりました。店のロゴマークはご主人のデザインです。そのマークをもとに、きりこを作りました。隣りではお兄さんが「くまがい」という衣料品店を営んでいました。昭和24年、向かいにあったサトー家具さんあたりの場所で、熊谷呉服店としてスタートしたのです。赤ちゃんのものから高齢者のものまで幅広い商品と反物なども扱っていました。屋号は ○ヨ 。創業者の養之進さんの名前から、ヨの字をとってつけられたのだそうです。「フレンズ」とは、お店がつながっていました。津波の犠牲になったお兄さんの分まで、末永く ○ヨ の屋号を守っていただきたいと思います。
今は南三陸さんさん商店街で営業しています。

2010年取材ときりこ:菅原きえ

震災前の様子

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2013年 8月 10日 - 12:36am

08かね久海産

かね久海産

創業100年を超える歴史ある海産物屋。先代は志津川魚市場にあがった鮫を使い、ちくわを作って販売し、商売を広げました。その後2代目が地元で獲れた食材をみんなに味わってほしいと、自分達の手で「さば節」、「にぼし」を加工し始めました。自然のものだからこそ安心して食べられるものをと、ご主人と奥様は、常にお客様の目線に立って「食」について考え商売をして来ました。初めてのお客様でも会話を通して南三陸を満喫して頂ければ…と、奥様が店内に休憩スペースをつくりました。選び抜かれた商品もさることながら、温かいおもてなしが自慢のお店でした。今は商工団地に店を再開しました。これからも、いい海産物をみなさんに届けていきます。現在は沼田の商工団地で営業しています。

2010年取材ときりこ:佐藤由貴
 2012年きりこ:千葉ひろみ(2010年きりこをもとに)

震災前の様子

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2013年 8月 10日 - 12:30am

07京極

京極

志津川の人なら、時々無性に食べたくなるのが京極のおそばなのだそうです。きれいな淡い緑色の麺と、独特の甘いたれ。志津川のソウルフードは、現在も健在です。さんさん商店街の中にお店は復活。この変わらぬ味も復活しています。震災前のお店には、浮き彫りの宝船が飾ってありました。その宝船を「きりこ」にしました。

2012年取材:吉川由美
 2010年きりこ:井上知子

震災前の様子

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2013年 8月 10日 - 12:20am

06及善かまぼこ店

及善かまぼこ店

明治13年創業。今のご主人で5代目、息子さんで6代目になる及善かまぼこ店。初代は鮮魚や水産加工から始まり、3代目から蒲鉾も作るようになりました。冷蔵庫がなかった時代は、冬しか蒲鉾を作れませんでした。夏はかつおぶしを売っていました。天然氷を入れた石蔵で保存した魚介が飛ぶように売れたそうです。冷蔵ができるようになってからは職人技で作った、ご祝儀用の富士山や鯛、宝船などの細工蒲鉾が人気でした。「あのおやじが作ったものであればまちがいない!」と思ってもらえるようなおいしいものを作りたいと、5代目は吉次などの高級魚を使った噛むほど甘くなる「リアスの秘伝」という笹かまぼこを作りました。震災後は登米市に工場を復活させ、この蒲鉾をいち早く販売しています。かつての工場には初代から守り続けている窯神様が従業員を見守ってくれていました。震災後、社長は瓦礫の中、窯神様を探しましたが見つかりませんでした。きっと今も、窯神様は及善蒲鉾店を遠くから見守ってくれているにちがいありません。きりこは、窯神様と笹かまぼこなどをモチーフにしました。
南三陸さんさん商店街で営業中です。

2010年取材ときりこ 桐山 由季

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2013年 8月 10日 - 12:16am

05マルセン食品

マルセン食品

かまぼこ加工業として創業。3代目は、この町の海と山の魅力を食を通して伝えて行きたいと、農商工連携の先駆けとして2010年に店をリニューアルしました。“里海”南三陸の山の幸、海の幸を購入できる店は、観光客はもちろん食材にうるさい地元のおかあさんたちも引きつけていました。震災で、自宅、真新しい店、工場、何もかもがなくなってしまいました。しかし、これまで連携してがんばって来たおさかな通りの仲間たちと互いに支え合い、力を合わせました。震災後の7月には、移動販売車で食品や日用品を仮設住宅に出張販売する仕事を始めました。工場も再開。南三陸さんさん商店街のお店は、観光客だけでなく地元のみなさんにも大人気です。地元に愛される店、遠くからもお客様が来てくれる店でありたい、そして、水産業、農業が連携する豊かな里海の恵みと景観を未来に伝えていきたいと社長の三浦さんは考えています。

2010年取材:宮川 舞
 2012年取材:吉川由美 きりこ:黒川晶代(女子美術大学)

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2013年 8月 10日 - 12:12am

04アベロク

アベロク

おさかな通りにあった呉服店アベロクはお父様の代からだけでも78年になるそうです。曽祖父は、当時地元にあった大きな養蚕工場 朝日製糸場の専務でした。繭を工場に卸したりしていたことから、お父様の代に呉服店を開き、今は洋服など衣料品を扱うようになったそうです。アベロクという名前は、曽祖父の名前『阿部六之助』からつけられました。震災前、店の隣りにあった蔵の屋根瓦一つ一つや、蔵にあったお膳には、「やまぼし」と呼ばれる紋が入っていました。その「やまぼし」は屋号です。「4月の福興市にブースを出したのが震災後初の商売。震災後、商売を再開するかどうか迷いましたが、東京の娘たちにも何かしていた方がいいと言われて、店を南三陸さんさん商店街に再開しました。町内に分散していた店がこうして集まるのもなかなかいいし、迷路のように歩ける商店街もいいもんだね。」と話してくださいました。

2010年取材:菅原きえ 2012年取材:渡辺祥子 2012年きりこ:千葉ひろみ

震災前の様子

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2013年 8月 10日 - 12:07am

03わたや

わたや

93年の歴史を持つ「わたや」。もともとは、ふとんを仕立てていましたが、その後、呉服を扱うようになり、「菅原呉服店」と名称を変えました。その後、今のご主人になって、再び「わたや」を名乗るようになりました。震災後、いったんは、「もう商売はやめよう」思いましたが、福興市を手伝っているうちに、昔のお客さんと久しぶりに再会し、「お店もう一回開いてね」という言葉に背中を押されて、南三陸さんさん商店街に店を開きました。
「最初は、スタッフTシャツを作り、それが観光客のお土産としても売れるようになりました。今はカモメのイラストのTシャツが人気で、カモメがいろんなところに飛んで行って、縁をつないでくれています。」と奥さんの栄子さんが笑顔で語ってくれました。人との出会いは宝物です。嫁いで30年、「ここが私のふるさと」と奥さんは語ります。

2012年取材:渡辺祥子 2012年きりこ:吉川由美

震災前の様子

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