2013年 8月 10日 - 1:28am
22宮城商店
宮城商店
創業120年あまりになる歴史ある商店です。昔、志津川駅のあたりが一面の田んぼだった頃、初代が繭を買い付ける商売を始めました。まだ貴重品だった自転車で石巻まで通ったそうです。2代目は、油と米の販売を始めました。しかし、チリ地震津波で何もかも流されてしまいました。先代が必死にがんばって再起してくれたおかげで、現在の宮城商店があると、震災前に3代目となるご主人は語っていました。3代目は、今回の大津波にも負けず、父譲りの根性で、もとの場所にガソリンスタンドを再開しました。まつりと子どもをこよなく愛している社長。行政区のメインイベント「八幡町打ち囃子」の伝承と振興に力を注ぎ汗を流してきました。きりこは、ご主人が子どもたちとがんばって伝承してきた「八幡町打ち囃子」の獅子頭です。
宮城商店は、南三陸さんさん商店街の西隣りに新しいガソリンスタンドを再建しました。
2010年取材:佐藤由貴・佐藤彩
2010年きりこ:行場真野
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 1:25am
21サタケ理容所
サタケ理容所
おさかな通りにあった、水色の壁の理容店。昭和14年、先代が理容所を始めました。ご主人は2代目で理容師歴40年以上のベテランでした。昭和にタイムスリップしたかのような店内。なかでも一番目立つ、年代物の大きな鏡は舶来品でした。「いつか床屋をやめる時が来たらほしい!」とお客様に言われるほど、木の彫刻が施されたシックなものでした。ものづくりが得意なご主人。前を通りかかると何か作業をしているご主人の姿をしばしば見かけました。「耳かき」を作っていたのです。箱いっぱいの手作りの耳かきがありました。耳かき作りに使う道具の中には、自ら作ったものもあります。そんなこだわりの道具で、竹を切り出し、乾燥させ、削り出し、時間と手間をかけて一本一本ていねいに作り、 お客様にプレゼントしていました。年代物の鏡に耳かきが隠れているきりこです。
2010年取材ときりこ:菅原きえ
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 1:21am
20阿部旅館
阿部旅館
100年を超える歴史があり6代続いた老舗旅館でしたが、震災で廃業することになりました。女将 節子さんの趣味は「吊るし雛作り」でした。作業に取り掛かると無心になれ、心にゆとりができました。震災後、泥まみれの着物を拾い集めて洗い、汚れていない部分を小さく切り抜き、吊るし雛を作り始めました。一針一針、雛を縫うのです。自分が作った雛人形が、南三陸のことを見知らぬ人たちに伝えてくれる。そう思うと、はりになるといいます。旅館をやっていた時のように晴れ晴れとした笑顔で、節子さんは手製の吊るし雛を南三陸町観光協会のショップに納品に行きます。
2010年取材:阿部静香
2012年取材:吉川由美
2010年きりこ:山内淳子・阿部英恵
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 1:19am
19松月旅館
松月旅館
八幡橋のたもとにあった松月旅館は、四代前まで小料理屋を営んでいたそうです。その名は清水亭。この界隈に小料理屋や旅館が多かったのは、その昔、荷積みした舟が八幡川まで入ってきたからです。この松月旅館前のあたりが、志津川でもっとも古い市場だったのだそうです。荷下ろしをする人々の喧騒、市場の物売りの声、行き交う人々。震災前の風景から、かつてのにぎわいを想像したものです。満月に松、そして舟をあしらった「きりこ」を作りました。
2010年取材:高橋弘美・吉川由美
2010年きりこ:吉川由美
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 1:16am
18静江館
静江館
「静江館」は大正時代から続く料亭でした。南三陸町では、「静江館」で結婚式や結納をした人が数多くいます。ここから多くの幸せが生まれ、新たな人生がスタートしたのです。震災前「とても数え切れるものじゃない」と奥さんが語っていました。初代の女将は岩手県盛岡市から移り住みました。おさかな通りにあった「カクメイ亭」で数年働き、その後廻館前で料亭を開いたそうです。盛岡から先生を呼んで、踊りや三味線のお稽古もしていたそうです。「静江館」の名前は、震災後、ヤマウチが沼田の商工団地内にある新たに開いた食堂に引き継がれました。多くの人たちの良き思い出が、この店の名前にたくさんつまっているのです。
きりこは、そんな幸せに満ちた花嫁や宴席にまつわるものを切り抜きました。
2010年取材:宮川 舞
2010年きりこ:千葉ひろみ
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 1:13am
17菅良商店
菅良商店
商いを始めてから、2010年で124年経ちました。6代目です。もともとは山師だったそうです。野蒜築港の際に、建材となる丸太を山積みにした船が難破し、先祖が裸一貫になってしまったという逸話があるそうです。いろいろな商売を経て、瀬戸物や金物。建築資材を商う店になりました。かつて町の人たちは食器をこの店で調達していました。そのため町の人々には、「せとや」と呼ばれていた親しまれていました。昭和12年、志津川が大火の時に、店は全焼しました。菅良商店にはりっぱな石蔵がありました。志津川には土蔵や石蔵が多かったのは、この大火のせいかもしれません。正月などの節目には、菅良商店で食器を買いそろえたという町の人の思い出をもとに、きりこを作りました。現在は商工団地の近くの45号線沿いで商売を再開しました。
2010年取材ときりこ:故 阿部亜紀・佐藤美枝 2012年取材:吉川由美
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 1:10am
16佐藤家
佐藤家
五日町でひときわ風情のあるたたずまいだった佐藤家。かつて味噌醤油屋を営んでいました。敷地内には醤油を作っていた土蔵や、醤油を作るもとになったいい水が湧いていた井戸がありました。たくさんの従業員が住み込みで働いていた往時が偲ばれるすばらしいお宅でした。家に子どもが授からない時代が続いた折、子どもが授かり元気に育つようにという願いを込めて、お正月に乳房の形の12個のもちを供えるようになったそうです。もちろん普通のお供えもちや、小豆を混ぜて作る菱餅も作りますので、師走は大忙しでした。佐藤家のなまこ壁の六角形の模様と乳房の形のお供えもちをきりこにあしらいました。ご主人の佐藤久一郎さんは南三陸町森林組合の組合長でもあります。南三陸のもともとの植生を活かして、人々が憩えるようなタブノキの森をつくりたいと考えています。
2010年取材ときりこ:吉川由美
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 1:06am
15芳賀家
芳賀家
過ぎ去った長い時を感じることができるような、美しい家屋は築100年を越えていました。志津川の大火も1960年のチリ地震津波も乗り越えた美しい家でした。五日町で、500坪という破格の広さの敷地でした。本宅・土蔵・畑・池・蒸蔵・農機具倉庫・庭・長置き場などがありました。本宅の座敷は100畳もあり、冬は寒さが厳しかったですが、夏は風通しが良く快適に過ごせました。裏庭の栗の木には毎年たくさんの栗がたわわに実りました。門のすぐ右側の土蔵は繭の蒸し蔵でした。たくさんの繭を製糸工場におさめていた時代の名残です。チリ地震津波の前までは裏庭に農耕馬を飼っていたそうです。きりこは、この家のシンボルでもあった「馬」を切り抜きました。
長年住んだ家の跡地に、芳賀さんはひまわりの種を蒔きました。「夏になったら、ひまわりがたくさん咲くように」と願いながら。夏の終わりに芳賀さんの家の跡には、たくさんのひまわりが咲きました。
2010年取材:佐藤知子
2010年きりこ:佐藤知子・千葉貴子
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 1:02am
14千葉のり店
千葉のり店
海産物屋を始めて約100年。当初は壁の材料となるテングサなどを扱っていましたが、40年あまり前、海苔の専門店となりました。現在は3代目。姉妹でがんばってきました。震災前、彼女たちは「日々仕事に精いっぱいだ」と明るく笑っていました。定休日がなくても、姉妹で楽しく働くことが生きがいなのでしょう。「間違いのない商品、お客様に美味しいと言ってもらえるような商品を作り続けていきたい」と言っていました。2010年に千葉海苔店の自慢のヒット商品味付け海苔の袋にも描かれている、マスコットの龍にまたがった「のり太郎」をきりこにしました。いち早く仮設店舗で復活を果たした姉妹。今は南三陸さんさん商店街のお店で、震災前のように忙しくがんばっています。
2010年取材ときりこ:菅原きえ
震災前の様子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 12:58am
13山清
菓房 山清
大正12年創業で、今は3代目になる「山清」。初代はせんべいや飴、バナナ焼きなどの駄菓子を小売りし町の商店に自転車で配達もしていました。当時は10キロ先の歌津などにも、自転車で配達をしていたそうです。まだ先駆けだったアイスキャンデーを自転車に積んで、販売していたこともあります。カランカランと鳴らす鐘の音に誘われて、たくさんの子供が集まり、喜んで買っていったそうです。二代目のご主人は東京の製菓学校で和菓子、パン、洋菓子を学び当時地元ではまだなかったショートケーキを20円で発売。地域の学校の給食のパンを30年作り続けました。3代目のご主人は、南三陸ならではの新しい商品開発を熱心に行ってきました。震災後、登米市にあった店に工場を移し、和菓子から洋菓子まで幅広いレパートリーのお菓子を製造しています。パンも多くの人に食べていただこうと移動販売もしています。南三陸さんさん商店街で営業中です。
2010年取材:桐山由季
2012年きりこ:千葉ひろみ
震災前の様子
震災前の住所
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