2013年 8月 10日 - 2:28am

32松原食堂

松原食堂

2代目の店主・渡辺浩さんが切り盛りする松原食堂は、海と桜並木が見える松原公園のそばにありました。好評だったのは、中華そばや味噌ラーメンなどの麺類。家庭の味と、松原食堂を流れるのんびりとした時間は、地元住民の生活の一部でした。
震災後、高台にあった自宅には15人もの人が身を寄せました。「自分ひとりで出来ないことも、力を合わせたらできる」。いまは「毎日が土日のような忙しさ」ですが、小さな町ならではの結束力を発揮したいと言います。南三陸さんさん商店街で営業中です。

2012年取材:齋藤麻紀子
 2012年きりこ:吉川由美

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:25am

31志のや

志のや

割烹料理「志のや」は震災前、主に接待の場として使われました。東京の築地、九州、ときには中国から来たバイヤーさんに、南三陸の海産物を味わってもらう場です。あわびが旬の時期には、おさしみ、あわび飯、あわびステーキなど沢山の楽しみ方を味わってもらいました。また歯が悪いお客さまには、蒸し焼きの料理をご提供するなど、お客様に喜んでもらえることだけを考えました。
現在、南三陸の食堂が提供する「キラキラ丼」も、もとはご主人のアイディア。地元食材の良さを伝える「志のや」は、南三陸の縁の下の営業マンなのです。志のやは南三陸さんさん商店街で営業中です。

2012年取材:齋藤麻紀子
 2012年きりこ:すみだ川アートプロジェクト

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:21am

30はしもと

はしもと

ご主人は、仙台の高級割烹「銀たなべ」で修行し、腕を磨きました。その後、ホテルの調理師を経て、震災後、南三陸さんさん商店街ができるのをきっかけに「はしもと」を開業しました。代々漁師だったこともあり、魚の目利きとこだわり、そして旬の美味しさを使った料理が自慢です。
5年前に2世帯住宅を建て、新しい生活をスタートしました。生活の基盤だった家は残念ながら流されましたが、大切にしていた時計が9ヶ月ぶりにがれきの中から見つかり、いまは大切な宝物です。

2012年取材:齋藤麻紀子
 2012年きりこ:すみだ川アートプロジェクト

2013年 8月 10日 - 2:16am

29PBARBERミヤカワ

BARBERミヤカワ

震災前は、天王前の自宅で理容業を営んでいたBARBERミヤカワ。長年お店を切り盛りしてきた母と店主である息子の2人が、BARBERミヤカワの顔です。
バンドマンだった息子・賢司さんのポリシーは、「仕事と趣味は両輪」。震災前に趣味にしていた三線は、商売道具のハサミ、そして心の支えである子どもたちと同じくらい大切な宝物でした。三線もハサミも震災で失ってしまいましたが、いずれも支援を頂いたとのこと。“当たり前の生活”に感謝をしながら、今日もハサミを握ります。 現在は南三陸さんさん商店街で営業しています。

2012年取材:齋藤麻紀子
 2012年きりこ:吉川由美

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:09am

28サトー園芸店

サトー園芸店

36年ほど花屋を続けて来ました。今は2代目です。初代が始めた花屋を、自分が継ぐのだといつのまにか自然に考えるようになり、違和感もなく花屋を営んできました。志津川駅前にサトー園芸の店があったおかげで、町の入口はいつも季節の花々で彩られていました。現在は商工団地に新しい店を再建しました。ログハウスの店で、いつも花に包まれています。きりこの絵柄は、もちろん花です。

2010年取材ときりこ:故 阿部亜紀・佐藤美枝
 2012年取材:吉川由美

震災前の様子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:06am

27福助寿司

福助寿司

ご主人は30歳から寿司屋を営んできました。震災前のお店は2店舗目。以前のお店は思いもよらぬ火災で失いました。ただこの時の失望感と苦労が、店を続ける原動力になったと、ご主人は話していました。「自分ひとりだったらきっと逃げ出していたと思う。家族の支え、地域のお世話になった皆さんの支えがあったからこそ立ち上がれた」と震災前、当時を振り返っていました。「大切なのは誠実さ。出会いや人との繋がりに勝るものはない。」震災前からのご夫婦のモットーです。2年前「宝物は?」とお聞きしたとき、「女房です」とご主人は即座に答えておられました。笹を包丁で手際よく切って、さまざまな美しい形に切り抜くのがご主人の特技です。

2010年取材:高橋弘美・吉川由美
 きりこ:高橋弘美

震災前の様子

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2013年 8月 10日 - 1:39am

26上山八幡宮

上山八幡宮

上山八幡宮は、志津川地区の商店街に近く、地元の人々の信仰を集めて来ました。南三陸町のあたりには、正月に神棚を「きりこ」という白い切り紙で飾る風習があります。各神社の宮司は氏子のために「きりこ」を切り、配布するのです。上山八幡宮にも、美しいきりこが代々伝わっています。
このきりこがヒントになり、「きりこプロジェクト」は始まりました。
先人たちの代から営々と築かれてきた家業の歴史、町並み、人々の営み。その町で育まれた人々の無数の思い出。南三陸町の記憶が宿る町は失われました。しかし、南三陸町民の心の中に、その記憶は今も生き生きと甦ります。
その記憶は、町民が生きてきた証であり、誇りです。そこで育まれた精神文化が、新しく再建される南三陸町にも息づいてほしいと思います。
南三陸町の人々の祈りと願掛けの大切な場所として、上山八幡宮は宮司さんご一家とともに、今も人々に愛され続けています。

上山八幡宮に伝わる「きりこ」より
文:吉川由美

震災前の様子

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2013年 8月 10日 - 1:36am

25ササキ写真店

ササキ写真店

五日町にあったササキ写真は、昭和46年に創業。当時は町に写真店が4店あり、カメラは一家に一台になろうとする高度成長期でした。カメラは飛ぶように売れて、業績も急上昇。ひっきりなしにお客さんが訪れて、ご飯を食べる暇もないほど繁盛していました。始めは暗室で現像していましたが、カラーの現像機をいち早く導入しました。最先端の映像技術で、昭和50年代には志津川の映画を3本制作し、映画祭の教育映画部門にノミネートされたほどでした。使い捨てカメラ、デジタルカメラの登場で現像のお客様が少なくなったものの、ご主人は常に新しいものへと挑戦し続けていました。商売道具の大切なカメラと、よく撮影する花嫁さんをモチーフにしたきりこです。

2010年取材ときりこ:佐々木仁美

震災前の様子

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2013年 8月 10日 - 1:33am

24しお彩

しお彩

おさかな通りの「しお彩」は、地元の人たちはじめ、観光客やビジネス客などいつもたくさんのお客でにぎわっていました。「おまかせ丼」には、旬の魚が美しく盛りつけられていました。いつもご主人が厨房に立って、腕をふるっていました。
震災後はお総菜の移動販売店「食楽 しお彩」を始めました。さまざまなお総菜をトラックに乗せて、町の人たちのお役に立てたらと、毎日町内を回っています。
震災後は、家族と過ごす時間がとても大切なものだと思えるようになりました。南三陸町の未来に、あたたかい心のぬくもりと助け合う心を伝えていきたいと、ご主人の後藤さんは考えています。

2012年きりこ:すみだ川アートプロジェクト

震災前の様子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 1:31am

23佐長商店

佐長商店

南町の酒店。店頭にはさまざまな酒が所狭しと並んでいました。ワインをおいしく召し上がっていただきたいという思いから、ワインセラーが店内に設置されていました。ワイン選びの相談にものってくれる本格的なお店です。世界の選りすぐりのワインがしっかりと店頭にならんでいます。現在は南三陸さんさん商店街東隣りでお店を再開しました。もちろん確かなチョイスは変わりません。いいお酒を楽しみながら豊かな毎日を過ごしてほしい。そんな気持ちがあふれています。屋号の「さちょう」と酒瓶をモチーフにした「きりこ」は、娘さん自らがデザインしたものです。

2010年取材ときりこ:佐藤知子

震災前の様子

震災前の住所


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