2013年 8月 21日 - 12:38am

02ヤマウチ

ヤマウチ / Yamauchi Seafood Shop

昭和24年創業。先々代は魚の行商を営んでいました。氷もない時代に、毎日何時間もかけて自転車で峠を越え、登米や花泉などを売り歩きました。幼い頃からよく働かせられたと社長は振り返ります。役場の近くの居酒屋に、毎日10回近く一皿100円の刺身盛りを岡持に入れて出前したそうです。本店では、看板娘の90歳になろうかというおばあちゃんが、現役でレジ打ちをしていました。おばあちゃんは今も元気にパークゴルフで大活躍です。新しい商品が次々と産まれる開発力がヤマウチのトレードマークでした。1000近くもの試作を重ね、商品として日の目を見るのは300程度という勢いで、全国に名を馳せる南三陸ならではの商品を創り出して来ました。震災後は地酒の販売も始めました。開拓精神健在です。きりこには、南三陸自慢の「タコ」「魚」と、南三陸の日の出をあしらっています。これはヤマウチで販売しているお酒のラベルです。
南三陸さんさん商店街と沼田の商工団地のお店で営業中です。

2010年取材:佐藤 彩・佐藤由貴 ・宮川 舞
 2012年きりこ:吉川由美

“Always smiling while living together with the sea”

The boss of the Yamauchi store has a leadership position in the reconstruction of the town. He is a man who never stops smiling. “Every last thing we had was taken away by the sea, but we have always lived together with the sea, and so we must continue to do so.” With his positive, cooperative approach, Mr. Yamauchi is a beacon of hope in this community.

震災前の様子 / Appearance before the tsunami

震災前の住所 / Address before the tsunami


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2013年 8月 21日 - 12:37am

01プロジェクトテーマ/南三陸商工会

プロジェクトテーマ/南三陸商工会 / The theme of Kiriko Project/Minamisanriku Tourism Association

きりこプロジェクトのテーマは「ここで生きて来た幸せ ここで生きていく喜び」を確かめ合おうということです。
きりこプロジェクトの制作拠点は五日町にあった南三陸商工会でした。そこでこのテーマのパネルを、2012年夏に南三陸商工会の跡地に設置しました。
商工会は鉄筋コンクリート2階建ての立派な建物で、いつも2階の広い会議室をお借りして、作業や勉強会を行いました。きりこプロジェクトは、南三陸町産業振興課が行った「女性が彩る観光まちづくりチャレンジ事業」の一環として、ENVISI(https://www.envisi.org)がまちの女性たちと協働で2010年夏に行いました。約20名の南三陸町在住の女性たちが、JR志津川駅から五日町商店街、おさかな通りまでの約1kmの沿道のお店や家々に、それぞれの宝物や大切な思い出などを取材しました。地域の神社が氏子のためにつくる「きりこ」と呼ばれる神棚の正月飾りの様式を真似て、それぞれの店や家のモチーフからデザインを起こし、素朴な切り紙をつくり、軒先に飾ったのです。地域に潜む、さまざまな物語が可視化され、地域に親しまれた伝統的な様式の切り紙を通して、その物語を住民同士共有しました。このプロジェクトを通し、南三陸で生まれ育った女性、嫁いできた女性、海外から移り住んだ女性たちが、南三陸町への思いを新たにし、交流を深めました。

きりこ制作・取材・メッセージ 吉川由美

“The happiness that was a part of this town and the joy that will live on here”
How better to express the theme of the Kiriko Project?

震災前の様子 / Appearance before the tsunami

震災前の住所 / Address before the tsunami

2013年 8月 10日 - 2:51am

40カットクラブ チバ

カットクラブ チバ

もともとは千葉理容所として親しまれていました。伊里前で床屋を営み、もう70年になります。ご主人の千葉英樹さんが3代目です。
千葉さんは、仙台で十数年修行した後に、店を継ぎました。
子どものころから歌津の海が遊び場でした。あわび採りなどをして遊んだものです。
この夏、父親は千葉理容所を歌津地区枡沢に復活させました。
震災で親しかったお客様が何人も犠牲になってしまいました。これからも父子共々、お客様を大切にしながら、床屋を続けていきたいと思っています。
商売道具のかみそりやシェービングブラシ、シェービングカップなどをきりこにデザインしました。

2012年取材ときりこ:吉川由美

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:48am

39マルアラ 及川商店

マルアラ 及川商店

震災前は歌津泊浜で水産食品加工業を営んでいました。震災で工場が流され、初めての小売店を伊里前福幸商店街に開きました。
屋号は「荒屋敷」。現在の社長 及川吉則さんが5代目です。以前は漁師で農業も営んでいたそうです。
海辺の店に人々が集まってくる風景が、とてもすばらしいと思えると及川さんは語っていました。震災によって、人のあたたかさを実感し、改めて家族や人とのつながりの大切さを感じました。今は、これまでやったことのなかった小売業にもチャレンジしています。
「いい町だよ。」と未来の人々に胸をはって言えるような町に復興していきたい。」及川さんのチャレンジは続きます。

2012年取材:佐藤由美
 2012年きりこ:高橋京子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:46am

38マルエー

マルエー

昭和15年に父親が洋品店を開業。
現在のご主人千葉教行さんは2代目。町外で修行したあと、昭和41年に店を継いだときに、店舗の新築と店名の改称を行い、「マルエー」になりました。
震災前に販売していた南三陸Tシャツが、震災後NHKに取材されたことがきっかけで、多くの方々に購入していただきました。お店で奥さんがお客様をおもてなししようと手作りの料理や漬物をふるまったりしてくれる心遣いを、今は宝物のように思えるそうです。
「みんなで力を合わせて、歌津の魅力を大きくふくらませていきたい。美しい海を臨むことができることこそ、大切な町の財産。」
千葉さんはこの町がなくしてはならないものを仲間たちと守りたいと力強く語ってくれました。
きりこには、南三陸Tシャツをデザインしました。

2012年取材:佐藤由美
 2012年きりこ:千葉ひろみ

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:44am

37アスリートやまうち

アスリートやまうち

スポーツ用品を中心に、衣類、スポーツシューズ、アウトドア用品、生活雑貨を扱っています。町のお祭りの衣装を縫うこともあります。
初代は呉服店を営んでいました。
ご主人の山内義申さんは、震災前、歌津の35年前からの歴史の記録や、ご自分に関わりのあるみなさんの生きざまを記録した本などを保存していました。それぞれの方々がどのように生きたかのかを記録した貴重なもので、現存すれば地域の生活文化や歴史の本質を伝えるために役立ったことでしょう。
震災後、避難所でも復旧・復興の過程においても、さまざまな人との出会いがあります。人はみな、地域に生かされ、周りの人に生かされているという実感を、未来に伝えていきたいと、山内さんは考えています。それを「結っ子」と山内さんは呼びます。きりこには、そんな「やまうち」のすべてをデザインしました。

2012年きりこ:高橋京子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:42am

36BJヤマウチ

BJヤマウチ

山内良子さんは、本吉の津谷から移り住んで42年になりました。美容師として、自宅で長年店をやってきました。
地肌と髪の健康のためにとてもよいベル・ジュバンスという弱酸性美容法でお客様に親しまれ、遠くからもお得意様が通っていらっしゃいます。そのベル・ジュバンスの略が、お店の名前の「B・J ヤマウチ」なのです。
仕事をするのが何よりも好きです。
震災後、たくさんの方のご支援で、今の店を復活することができました。お客様が、店の再開をずっと待っていてくれたことが心からうれしかったそうです。
必ず、みんなで立ち上がって、以前のような町をつくりたいと考えています。

2012年取材:吉川由美
 2012年きりこ:高橋京子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:38am

35マルタケ大衆ストア

マルタケ大衆ストア

約半世紀、歌津で食料品小売業を営んできました。髙橋武一さんで2代目になります。
南三陸の海が、なんと言っても髙橋さんにとってかけがえのない宝物でした。この自然と、震災で確かめ合うことができた人と人とのつながりを、未来に伝えていきたいと髙橋さんは考えています。
「全国の方たちからの支援と励ましが心の支えです。震災前と同じような商店街にするのではなく、将来にわたり、町の人々に愛され多くの方に訪れてもらえるような商店街をつくらなければならない。」髙橋さんは、仲間たちと日々新しいまちづくりのために奔走しています。
人と人とのつながり、人が集まって知恵の花が咲く。そんなイメージをきりこにデザインしました。

2012年取材ときりこ:吉川由美

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:35am

34ナカノ電気商会

ナカノ電気商会

歌津で電気店を営み始めてから、ご主人の髙橋勝男さんで2代目になります。今は息子さんも一緒に仕事をしています。
家電製品を取り扱うだけでなく、電気工事の仕事も請け負っています。
震災前、お店の脇にラベンダーの大きな株があって長い期間咲き続けていたそうです。ハイジという白いネコを飼っていて、いつも店の棚の上で置物のようにハイジが丸くなっていたそうです。震災の時、お店に置いて来てしまったハイジのことを、奥様の良子さんは今も思い出します。
震災前、良子さんは公民館に足繁く通い、茶道や太極拳、着付などを、仲間とともに楽しんでいました。そんな仲間との楽しい時間を、少しずつ取り戻していきたいと語っていました。
震災前以上に幸せな生活ができる町に復興していきたい。それが良子さんの願いです。
ハイジとラベンダー、電球と電気工事に使うペンチをきりこにデザインしました。

2012年取材:吉川由美
 2012年きりこ:高橋京子

震災前の住所


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2013年 8月 10日 - 2:31am

33豊楽食堂

豊楽食堂

店に入ると、高らかに響く「いらっしゃいませ」の声。生まれて80年、南三陸町で生きてきた店主の遠藤とよ子さんです。でも50年前にお店をオープンしたときは、「いらっしゃいませ」が言えませんでした。ご主人が体を壊され、家族を養うために未経験の飲食業を始めたからです。
助けてくれたのは、何よりもお客さまです。オープン当時に5種類しかなかったメニューは、お客さまからの提案で震災前20種類にまで増えていました。そしていま、とよ子さんとともに厨房に立つのは震災前に東京からやって来た元気な20代のお孫さんです。「いらっしゃいませ!」の威勢のいい声が、店内に響き渡ります。豊楽名物の焼きそばを、是非お召し上がりください。南三陸さんさん商店街で営業中です。

2012年取材:齋藤麻紀子
 2012年きりこ:千葉ひろみ

震災前の住所


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