2014年 3月 6日 - 1:49pm
41亜べとう整骨院
亜べとう整骨院
震災前には、十日町で開業していました。
ひとりひとりとお話ししながら、丁寧な治療を心がけています。
院長の奥様の阿部亜紀さんは、震災の犠牲になりました。
亜紀さんは、2010年に最初のきりこプロジェクトを行ったとき、とても熱心に南三陸の家々を訪ねて取材したり、きりこを作ったひとりです。亜紀さんが作ってくれた「きりこ」も展示しています。
彼女の心に焼き付いていたであろう、南三陸の美しさ、人々のあたたかさ、長い時間が紡いできた文化を、未来に伝えていきたいと思います。
2012年きりこ制作:千葉ひろみ
2014年 3月 6日 - 1:43pm
41亜べとう整骨院
亜べとう整骨院
震災前には、十日町で開業していました。
ひとりひとりとお話ししながら、丁寧な治療を心がけています。
院長の奥様の阿部亜紀さんは、震災の犠牲になりました。
亜紀さんは、2010年に最初のきりこプロジェクトを行ったとき、とても熱心に南三陸の家々を訪ねて取材したり、きりこを作ったひとりです。亜紀さんが作ってくれた「きりこ」も展示しています。
彼女の心に焼き付いていたであろう、南三陸の美しさ、人々のあたたかさ、長い時間が紡いできた文化を、未来に伝えていきたいと思います。
2012年きりこ制作:千葉ひろみ
2013年 8月 21日 - 12:48am
21サタケ理容所
サタケ理容所 / Satake Barbershop
おさかな通りにあった、水色の壁の理容店。昭和14年、先代が理容所を始めました。ご主人は2代目で理容師歴40年以上のベテランでした。昭和にタイムスリップしたかのような店内。なかでも一番目立つ、年代物の大きな鏡は舶来品でした。「いつか床屋をやめる時が来たらほしい!」とお客様に言われるほど、木の彫刻が施されたシックなものでした。ものづくりが得意なご主人。前を通りかかると何か作業をしているご主人の姿をしばしば見かけました。「耳かき」を作っていたのです。箱いっぱいの手作りの耳かきがありました。耳かき作りに使う道具の中には、自ら作ったものもあります。そんなこだわりの道具で、竹を切り出し、乾燥させ、削り出し、時間と手間をかけて一本一本ていねいに作り、 お客様にプレゼントしていました。年代物の鏡に耳かきが隠れているきりこです。
2010年取材ときりこ:菅原きえ
“It was our pleasure to present each customer with a handmade ear pick.”
Before the earthquake, the owner of this barbershop used to craft bamboo ear picks in his spare time. He would offer these as gifts to his customers. The shop also used to boast a vintage mirror with a splendid wooden frame. This is what inspired the ear pick and frame motifs in this design.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:48am
22宮城商店
宮城商店 / Miyagi Gas
創業120年あまりになる歴史ある商店です。昔、志津川駅のあたりが一面の田んぼだった頃、初代が繭を買い付ける商売を始めました。まだ貴重品だった自転車で石巻まで通ったそうです。2代目は、油と米の販売を始めました。しかし、チリ地震津波で何もかも流されてしまいました。先代が必死にがんばって再起してくれたおかげで、現在の宮城商店があると、震災前に3代目となるご主人は語っていました。3代目は、今回の大津波にも負けず、父譲りの根性で、もとの場所にガソリンスタンドを再開しました。まつりと子どもをこよなく愛している社長。行政区のメインイベント「八幡町打ち囃子」の伝承と振興に力を注ぎ汗を流してきました。きりこは、ご主人が子どもたちとがんばって伝承してきた「八幡町打ち囃子」の獅子頭です。
宮城商店は、南三陸さんさん商店街の西隣りに新しいガソリンスタンドを再建しました。
2010年取材:佐藤由貴・佐藤彩
2010年きりこ:行場真野
“As a kid I learned so much by watching the way my dad worked. Now it’s my turn to teach”
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:48am
23佐長商店
佐長商店 / Sacho Liquor Store
南町の酒店。店頭にはさまざまな酒が所狭しと並んでいました。ワインをおいしく召し上がっていただきたいという思いから、ワインセラーが店内に設置されていました。ワイン選びの相談にものってくれる本格的なお店です。世界の選りすぐりのワインがしっかりと店頭にならんでいます。現在は南三陸さんさん商店街東隣りでお店を再開しました。もちろん確かなチョイスは変わりません。いいお酒を楽しみながら豊かな毎日を過ごしてほしい。そんな気持ちがあふれています。屋号の「さちょう」と酒瓶をモチーフにした「きりこ」は、娘さん自らがデザインしたものです。
2010年取材ときりこ:佐藤知子
“Life’s riches are fine liquor and good friends”
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:48am
24しお彩
しお彩 / Shiosai Japanese Seafood Restaurant
おさかな通りの「しお彩」は、地元の人たちはじめ、観光客やビジネス客などいつもたくさんのお客でにぎわっていました。「おまかせ丼」には、旬の魚が美しく盛りつけられていました。いつもご主人が厨房に立って、腕をふるっていました。
震災後はお総菜の移動販売店「食楽 しお彩」を始めました。さまざまなお総菜をトラックに乗せて、町の人たちのお役に立てたらと、毎日町内を回っています。
震災後は、家族と過ごす時間がとても大切なものだと思えるようになりました。南三陸町の未来に、あたたかい心のぬくもりと助け合う心を伝えていきたいと、ご主人の後藤さんは考えています。
2012年きりこ:すみだ川アートプロジェクト
“Providing side dishes for family meals through our mobile sales service”
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:48am
25ササキ写真店
ササキ写真店 / Sasaki Photographic Studio
五日町にあったササキ写真は、昭和46年に創業。当時は町に写真店が4店あり、カメラは一家に一台になろうとする高度成長期でした。カメラは飛ぶように売れて、業績も急上昇。ひっきりなしにお客さんが訪れて、ご飯を食べる暇もないほど繁盛していました。始めは暗室で現像していましたが、カラーの現像機をいち早く導入しました。最先端の映像技術で、昭和50年代には志津川の映画を3本制作し、映画祭の教育映画部門にノミネートされたほどでした。使い捨てカメラ、デジタルカメラの登場で現像のお客様が少なくなったものの、ご主人は常に新しいものへと挑戦し続けていました。商売道具の大切なカメラと、よく撮影する花嫁さんをモチーフにしたきりこです。
2010年取材ときりこ:佐々木仁美
“Turn over a new leaf and make a fresh start”
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:48am
26上山八幡宮
上山八幡宮 / Kaminoyama Hachimangu Shrine
上山八幡宮は、志津川地区の商店街に近く、地元の人々の信仰を集めて来ました。南三陸町のあたりには、正月に神棚を「きりこ」という白い切り紙で飾る風習があります。各神社の宮司は氏子のために「きりこ」を切り、配布するのです。上山八幡宮にも、美しいきりこが代々伝わっています。
このきりこがヒントになり、「きりこプロジェクト」は始まりました。
先人たちの代から営々と築かれてきた家業の歴史、町並み、人々の営み。その町で育まれた人々の無数の思い出。南三陸町の記憶が宿る町は失われました。しかし、南三陸町民の心の中に、その記憶は今も生き生きと甦ります。
その記憶は、町民が生きてきた証であり、誇りです。そこで育まれた精神文化が、新しく再建される南三陸町にも息づいてほしいと思います。
南三陸町の人々の祈りと願掛けの大切な場所として、上山八幡宮は宮司さんご一家とともに、今も人々に愛され続けています。
上山八幡宮に伝わる「きりこ」より
文:吉川由美
“There is a treasure known as memory that lives in our hearts”
The culture of kiriko has been sustained through time by the chief priests of Shinto shrines. This design is just one such example. We created a kiriko cut-out from the words that the chief priest’s daughter shared with us after the earthquake.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:48am
27福助寿司
福助寿司 / Fukusuke Sushi
ご主人は30歳から寿司屋を営んできました。震災前のお店は2店舗目。以前のお店は思いもよらぬ火災で失いました。ただこの時の失望感と苦労が、店を続ける原動力になったと、ご主人は話していました。「自分ひとりだったらきっと逃げ出していたと思う。家族の支え、地域のお世話になった皆さんの支えがあったからこそ立ち上がれた」と震災前、当時を振り返っていました。「大切なのは誠実さ。出会いや人との繋がりに勝るものはない。」震災前からのご夫婦のモットーです。2年前「宝物は?」とお聞きしたとき、「女房です」とご主人は即座に答えておられました。笹を包丁で手際よく切って、さまざまな美しい形に切り抜くのがご主人の特技です。
2010年取材:高橋弘美・吉川由美
きりこ:高橋弘美
Asked to name his treasure, the owner of this sushi shop replied, “My wife.” That was even in the days before the earthquake. The couple now works happily side by side in a cafeteria called Seikokan built on higher ground.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:48am
29BARBERミヤカワ
BARBERミヤカワ / Miyakawa Barbershop
震災前は、天王前の自宅で理容業を営んでいたBARBERミヤカワ。長年お店を切り盛りしてきた母と店主である息子の2人が、BARBERミヤカワの顔です。
バンドマンだった息子・賢司さんのポリシーは、「仕事と趣味は両輪」。震災前に趣味にしていた三線は、商売道具のハサミ、そして心の支えである子どもたちと同じくらい大切な宝物でした。三線もハサミも震災で失ってしまいましたが、いずれも支援を頂いたとのこと。“当たり前の生活”に感謝をしながら、今日もハサミを握ります。 現在は南三陸さんさん商店街で営業しています。
2012年取材:齋藤麻紀子
2012年きりこ:吉川由美
“Scissors in our hands and the spirit of appreciation in our hearts”
震災前の住所 / Address before the tsunami
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