2013年 8月 21日 - 12:37am
01プロジェクトテーマ/南三陸商工会
プロジェクトテーマ/南三陸商工会 / The theme of Kiriko Project/Minamisanriku Tourism Association
きりこプロジェクトのテーマは「ここで生きて来た幸せ ここで生きていく喜び」を確かめ合おうということです。
きりこプロジェクトの制作拠点は五日町にあった南三陸商工会でした。そこでこのテーマのパネルを、2012年夏に南三陸商工会の跡地に設置しました。
商工会は鉄筋コンクリート2階建ての立派な建物で、いつも2階の広い会議室をお借りして、作業や勉強会を行いました。きりこプロジェクトは、南三陸町産業振興課が行った「女性が彩る観光まちづくりチャレンジ事業」の一環として、ENVISI(https://www.envisi.org)がまちの女性たちと協働で2010年夏に行いました。約20名の南三陸町在住の女性たちが、JR志津川駅から五日町商店街、おさかな通りまでの約1kmの沿道のお店や家々に、それぞれの宝物や大切な思い出などを取材しました。地域の神社が氏子のためにつくる「きりこ」と呼ばれる神棚の正月飾りの様式を真似て、それぞれの店や家のモチーフからデザインを起こし、素朴な切り紙をつくり、軒先に飾ったのです。地域に潜む、さまざまな物語が可視化され、地域に親しまれた伝統的な様式の切り紙を通して、その物語を住民同士共有しました。このプロジェクトを通し、南三陸で生まれ育った女性、嫁いできた女性、海外から移り住んだ女性たちが、南三陸町への思いを新たにし、交流を深めました。
きりこ制作・取材・メッセージ 吉川由美
“The happiness that was a part of this town and the joy that will live on here”
How better to express the theme of the Kiriko Project?
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
2013年 8月 10日 - 2:51am
40カットクラブ チバ
カットクラブ チバ
もともとは千葉理容所として親しまれていました。伊里前で床屋を営み、もう70年になります。ご主人の千葉英樹さんが3代目です。
千葉さんは、仙台で十数年修行した後に、店を継ぎました。
子どものころから歌津の海が遊び場でした。あわび採りなどをして遊んだものです。
この夏、父親は千葉理容所を歌津地区枡沢に復活させました。
震災で親しかったお客様が何人も犠牲になってしまいました。これからも父子共々、お客様を大切にしながら、床屋を続けていきたいと思っています。
商売道具のかみそりやシェービングブラシ、シェービングカップなどをきりこにデザインしました。
2012年取材ときりこ:吉川由美
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 2:48am
39マルアラ 及川商店
マルアラ 及川商店
震災前は歌津泊浜で水産食品加工業を営んでいました。震災で工場が流され、初めての小売店を伊里前福幸商店街に開きました。
屋号は「荒屋敷」。現在の社長 及川吉則さんが5代目です。以前は漁師で農業も営んでいたそうです。
海辺の店に人々が集まってくる風景が、とてもすばらしいと思えると及川さんは語っていました。震災によって、人のあたたかさを実感し、改めて家族や人とのつながりの大切さを感じました。今は、これまでやったことのなかった小売業にもチャレンジしています。
「いい町だよ。」と未来の人々に胸をはって言えるような町に復興していきたい。」及川さんのチャレンジは続きます。
2012年取材:佐藤由美
2012年きりこ:高橋京子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 2:46am
38マルエー
マルエー
昭和15年に父親が洋品店を開業。
現在のご主人千葉教行さんは2代目。町外で修行したあと、昭和41年に店を継いだときに、店舗の新築と店名の改称を行い、「マルエー」になりました。
震災前に販売していた南三陸Tシャツが、震災後NHKに取材されたことがきっかけで、多くの方々に購入していただきました。お店で奥さんがお客様をおもてなししようと手作りの料理や漬物をふるまったりしてくれる心遣いを、今は宝物のように思えるそうです。
「みんなで力を合わせて、歌津の魅力を大きくふくらませていきたい。美しい海を臨むことができることこそ、大切な町の財産。」
千葉さんはこの町がなくしてはならないものを仲間たちと守りたいと力強く語ってくれました。
きりこには、南三陸Tシャツをデザインしました。
2012年取材:佐藤由美
2012年きりこ:千葉ひろみ
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 2:44am
37アスリートやまうち
アスリートやまうち
スポーツ用品を中心に、衣類、スポーツシューズ、アウトドア用品、生活雑貨を扱っています。町のお祭りの衣装を縫うこともあります。
初代は呉服店を営んでいました。
ご主人の山内義申さんは、震災前、歌津の35年前からの歴史の記録や、ご自分に関わりのあるみなさんの生きざまを記録した本などを保存していました。それぞれの方々がどのように生きたかのかを記録した貴重なもので、現存すれば地域の生活文化や歴史の本質を伝えるために役立ったことでしょう。
震災後、避難所でも復旧・復興の過程においても、さまざまな人との出会いがあります。人はみな、地域に生かされ、周りの人に生かされているという実感を、未来に伝えていきたいと、山内さんは考えています。それを「結っ子」と山内さんは呼びます。きりこには、そんな「やまうち」のすべてをデザインしました。
2012年きりこ:高橋京子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 2:42am
36BJヤマウチ
BJヤマウチ
山内良子さんは、本吉の津谷から移り住んで42年になりました。美容師として、自宅で長年店をやってきました。
地肌と髪の健康のためにとてもよいベル・ジュバンスという弱酸性美容法でお客様に親しまれ、遠くからもお得意様が通っていらっしゃいます。そのベル・ジュバンスの略が、お店の名前の「B・J ヤマウチ」なのです。
仕事をするのが何よりも好きです。
震災後、たくさんの方のご支援で、今の店を復活することができました。お客様が、店の再開をずっと待っていてくれたことが心からうれしかったそうです。
必ず、みんなで立ち上がって、以前のような町をつくりたいと考えています。
2012年取材:吉川由美
2012年きりこ:高橋京子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 2:38am
35マルタケ大衆ストア
マルタケ大衆ストア
約半世紀、歌津で食料品小売業を営んできました。髙橋武一さんで2代目になります。
南三陸の海が、なんと言っても髙橋さんにとってかけがえのない宝物でした。この自然と、震災で確かめ合うことができた人と人とのつながりを、未来に伝えていきたいと髙橋さんは考えています。
「全国の方たちからの支援と励ましが心の支えです。震災前と同じような商店街にするのではなく、将来にわたり、町の人々に愛され多くの方に訪れてもらえるような商店街をつくらなければならない。」髙橋さんは、仲間たちと日々新しいまちづくりのために奔走しています。
人と人とのつながり、人が集まって知恵の花が咲く。そんなイメージをきりこにデザインしました。
2012年取材ときりこ:吉川由美
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 2:35am
34ナカノ電気商会
ナカノ電気商会
歌津で電気店を営み始めてから、ご主人の髙橋勝男さんで2代目になります。今は息子さんも一緒に仕事をしています。
家電製品を取り扱うだけでなく、電気工事の仕事も請け負っています。
震災前、お店の脇にラベンダーの大きな株があって長い期間咲き続けていたそうです。ハイジという白いネコを飼っていて、いつも店の棚の上で置物のようにハイジが丸くなっていたそうです。震災の時、お店に置いて来てしまったハイジのことを、奥様の良子さんは今も思い出します。
震災前、良子さんは公民館に足繁く通い、茶道や太極拳、着付などを、仲間とともに楽しんでいました。そんな仲間との楽しい時間を、少しずつ取り戻していきたいと語っていました。
震災前以上に幸せな生活ができる町に復興していきたい。それが良子さんの願いです。
ハイジとラベンダー、電球と電気工事に使うペンチをきりこにデザインしました。
2012年取材:吉川由美
2012年きりこ:高橋京子
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 2:31am
33豊楽食堂
豊楽食堂
店に入ると、高らかに響く「いらっしゃいませ」の声。生まれて80年、南三陸町で生きてきた店主の遠藤とよ子さんです。でも50年前にお店をオープンしたときは、「いらっしゃいませ」が言えませんでした。ご主人が体を壊され、家族を養うために未経験の飲食業を始めたからです。
助けてくれたのは、何よりもお客さまです。オープン当時に5種類しかなかったメニューは、お客さまからの提案で震災前20種類にまで増えていました。そしていま、とよ子さんとともに厨房に立つのは震災前に東京からやって来た元気な20代のお孫さんです。「いらっしゃいませ!」の威勢のいい声が、店内に響き渡ります。豊楽名物の焼きそばを、是非お召し上がりください。南三陸さんさん商店街で営業中です。
2012年取材:齋藤麻紀子
2012年きりこ:千葉ひろみ
震災前の住所
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2013年 8月 10日 - 2:28am
32松原食堂
松原食堂
2代目の店主・渡辺浩さんが切り盛りする松原食堂は、海と桜並木が見える松原公園のそばにありました。好評だったのは、中華そばや味噌ラーメンなどの麺類。家庭の味と、松原食堂を流れるのんびりとした時間は、地元住民の生活の一部でした。
震災後、高台にあった自宅には15人もの人が身を寄せました。「自分ひとりで出来ないことも、力を合わせたらできる」。いまは「毎日が土日のような忙しさ」ですが、小さな町ならではの結束力を発揮したいと言います。南三陸さんさん商店街で営業中です。
2012年取材:齋藤麻紀子
2012年きりこ:吉川由美
震災前の住所
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