2013年 8月 21日 - 12:40am
11佐良スタジオ
佐良スタジオ / Saryo Photographic Studio
昭和47年に創業した「佐良写真屋」。先代はカメラの趣味が高じて脱サラし、このスタジオを開店しました。当時は一般の人たちにもカメラが普及し、カラー写真も出始めた時代。町内に愛好家が多かったこともあり、主催した撮影会は大成功だったそうです。「この仕事をしなければ出会えなかった人たちがたくさんいます」と震災前に、二代目のご主人 信一さんは話しておられました。「自分にとっては何百枚もの写真だけど、誰かにとっては大切な思い出の一枚になる。」 震災直後から、信一さんは南三陸の人たちの姿を撮影し続けてきました。それがすばらしい写真集「南三陸から」にまとめられ、全国、世界の方々が、信一さんの写真を通じて南三陸に関心を寄せていただくことになりました。写真展は海外でも行われています。まさに写真を通して、たくさんの人たちと南三陸町を信一さんはつないだのです。写真を通してたくさんの人とのご縁をつないでいく様子を、2010年にきりこにしました。南三陸さんさん商店街で営業中です。
2010年取材ときりこ:故 阿部亜紀・佐藤美枝
2012年取材:吉川由美
“Capturing everyone’s smiling faces in photos”
[This photo studio has been actively documenting the town and its people from the days immediately after the disaster.]
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:39am
10阿部茶舗
阿部茶舗 / Abe Tea Shop
明治41年創業。今年で104年になります。今の社長が4代目。初代は大正時代から砂糖・油・水あめ・粉・でん粉・小麦粉・缶詰などを販売していました。その頃、郵便物も扱っていたことから、店の前にはクラシックな赤い郵便ポストがあったのです。震災前は3代目のおじいさんがお店に出ていました。「元気の秘訣は、お茶を食べること」と教えてくれました。茶葉をブレンドすることを合組というのですが、そのブレンドの仕方でそれぞれのお茶屋さんの味が決まります。静岡から茶葉を取り寄せ、香り、コク、番数(何回目に入れた時にどんな味が出るか)、色などを考えてお茶をブレンドするのだそうです。震災後、元々のお客さんから、「あんだんどごのお茶の味が恋しい」と言ってもらえた時は本当にうれしかったそうです。南三陸さんさん商店街に再開したお店では、抹茶ソフトクリームなども大人気です。
2010年取材:佐藤由貴・佐藤 彩
2012年取材:渡辺祥子
2012年きりこ:吉川由美
“A moment for a break, a moment to come together”
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:39am
09フレンズ
フレンズ / Friends Stationery Store
昭和53年に開業。店名の「フレンズ」は、映画好きだったご主人が好きだったフランス映画の題名からとりました。でも、子供たちに名前の由来を尋ねられた時は、「友達」の意味だよと答えるそうです。答えるそうです。当初はファンシー雑貨や駄菓子、おもちゃ等を扱っていましたが、お客様のニーズに合わせて文房具や事務用品を扱うようになりました。店のロゴマークはご主人のデザインです。そのマークをもとに、きりこを作りました。隣りではお兄さんが「くまがい」という衣料品店を営んでいました。昭和24年、向かいにあったサトー家具さんあたりの場所で、熊谷呉服店としてスタートしたのです。赤ちゃんのものから高齢者のものまで幅広い商品と反物なども扱っていました。屋号は ○ヨ 。創業者の養之進さんの名前から、ヨの字をとってつけられたのだそうです。「フレンズ」とは、お店がつながっていました。津波の犠牲になったお兄さんの分まで、末永く ○ヨ の屋号を守っていただきたいと思います。
今は南三陸さんさん商店街で営業しています。
2010年取材ときりこ:菅原きえ
“Sharing the joy of living”
While he lost family members who used to live in the house next door, the owner of this shop always wears a bright smile and works hard for the benefit of the town and the shopping street. We dedicate these words to him.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:39am
08かね久海産
かね久海産 / Kanekyu Seafoods
創業100年を超える歴史ある海産物屋。先代は志津川魚市場にあがった鮫を使い、ちくわを作って販売し、商売を広げました。その後2代目が地元で獲れた食材をみんなに味わってほしいと、自分達の手で「さば節」、「にぼし」を加工し始めました。自然のものだからこそ安心して食べられるものをと、ご主人と奥様は、常にお客様の目線に立って「食」について考え商売をして来ました。初めてのお客様でも会話を通して南三陸を満喫して頂ければ…と、奥様が店内に休憩スペースをつくりました。選び抜かれた商品もさることながら、温かいおもてなしが自慢のお店でした。今は商工団地に店を再開しました。これからも、いい海産物をみなさんに届けていきます。現在は沼田の商工団地で営業しています。
2010年取材ときりこ:佐藤由貴
2012年きりこ:千葉ひろみ(2010年きりこをもとに)
One hundred years of tradition in bringing you seafood
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:39am
07京極
京極 / Kyogoku Soba Shop
志津川の人なら、時々無性に食べたくなるのが京極のおそばなのだそうです。きれいな淡い緑色の麺と、独特の甘いたれ。志津川のソウルフードは、現在も健在です。さんさん商店街の中にお店は復活。この変わらぬ味も復活しています。震災前のお店には、浮き彫りの宝船が飾ってありました。その宝船を「きりこ」にしました。
2012年取材:吉川由美
2010年きりこ:井上知子
“The same great tasting soba, the same high standards”
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:39am
06及善かまぼこ店
及善かまぼこ店 / Oizen Kamaboko Shop
明治13年創業。今のご主人で5代目、息子さんで6代目になる及善かまぼこ店。初代は鮮魚や水産加工から始まり、3代目から蒲鉾も作るようになりました。冷蔵庫がなかった時代は、冬しか蒲鉾を作れませんでした。夏はかつおぶしを売っていました。天然氷を入れた石蔵で保存した魚介が飛ぶように売れたそうです。冷蔵ができるようになってからは職人技で作った、ご祝儀用の富士山や鯛、宝船などの細工蒲鉾が人気でした。「あのおやじが作ったものであればまちがいない!」と思ってもらえるようなおいしいものを作りたいと、5代目は吉次などの高級魚を使った噛むほど甘くなる「リアスの秘伝」という笹かまぼこを作りました。震災後は登米市に工場を復活させ、この蒲鉾をいち早く販売しています。かつての工場には初代から守り続けている窯神様が従業員を見守ってくれていました。震災後、社長は瓦礫の中、窯神様を探しましたが見つかりませんでした。きっと今も、窯神様は及善蒲鉾店を遠くから見守ってくれているにちがいありません。きりこは、窯神様と笹かまぼこなどをモチーフにしました。
南三陸さんさん商店街で営業中です。
2010年取材ときりこ 桐山 由季
“Continuing to bring you fine tasting baked fish paste”
This design incorporates baked fish paste and the kitchen gods which used to be displayed on the factory walls before the earthquake.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:39am
05マルセン食品
マルセン食品 / Marusen Seafood Products
かまぼこ加工業として創業。3代目は、この町の海と山の魅力を食を通して伝えて行きたいと、農商工連携の先駆けとして2010年に店をリニューアルしました。“里海”南三陸の山の幸、海の幸を購入できる店は、観光客はもちろん食材にうるさい地元のおかあさんたちも引きつけていました。震災で、自宅、真新しい店、工場、何もかもがなくなってしまいました。しかし、これまで連携してがんばって来たおさかな通りの仲間たちと互いに支え合い、力を合わせました。震災後の7月には、移動販売車で食品や日用品を仮設住宅に出張販売する仕事を始めました。工場も再開。南三陸さんさん商店街のお店は、観光客だけでなく地元のみなさんにも大人気です。地元に愛される店、遠くからもお客様が来てくれる店でありたい、そして、水産業、農業が連携する豊かな里海の恵みと景観を未来に伝えていきたいと社長の三浦さんは考えています。
2010年取材:宮川 舞
2012年取材:吉川由美 きりこ:黒川晶代(女子美術大学)
“Saving the bounty of our seas and the beauty of nature for the future”
According to this shop owner, nature’s diverse resources and landscapes are the things we most need to protect and preserve.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:38am
04アベロク
アベロク / Aberoku Clothing Store
おさかな通りにあった呉服店アベロクはお父様の代からだけでも78年になるそうです。曽祖父は、当時地元にあった大きな養蚕工場 朝日製糸場の専務でした。繭を工場に卸したりしていたことから、お父様の代に呉服店を開き、今は洋服など衣料品を扱うようになったそうです。アベロクという名前は、曽祖父の名前『阿部六之助』からつけられました。震災前、店の隣りにあった蔵の屋根瓦一つ一つや、蔵にあったお膳には、「やまぼし」と呼ばれる紋が入っていました。その「やまぼし」は屋号です。「4月の福興市にブースを出したのが震災後初の商売。震災後、商売を再開するかどうか迷いましたが、東京の娘たちにも何かしていた方がいいと言われて、店を南三陸さんさん商店街に再開しました。町内に分散していた店がこうして集まるのもなかなかいいし、迷路のように歩ける商店街もいいもんだね。」と話してくださいました。
2010年取材:菅原きえ 2012年取材:渡辺祥子 2012年きりこ:千葉ひろみ
“Spinning thread in the past; spinning connections in the present”
In the past, this town made its money from silk cloth. As a kimono shop, Aberoku also did well. After the tsunami, they decided to reopen the store and maintain their connections with the community.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:38am
03わたや
わたや / Wataya Clothing Store
93年の歴史を持つ「わたや」。もともとは、ふとんを仕立てていましたが、その後、呉服を扱うようになり、「菅原呉服店」と名称を変えました。その後、今のご主人になって、再び「わたや」を名乗るようになりました。震災後、いったんは、「もう商売はやめよう」思いましたが、福興市を手伝っているうちに、昔のお客さんと久しぶりに再会し、「お店もう一回開いてね」という言葉に背中を押されて、南三陸さんさん商店街に店を開きました。
「最初は、スタッフTシャツを作り、それが観光客のお土産としても売れるようになりました。今はカモメのイラストのTシャツが人気で、カモメがいろんなところに飛んで行って、縁をつないでくれています。」と奥さんの栄子さんが笑顔で語ってくれました。人との出会いは宝物です。嫁いで30年、「ここが私のふるさと」と奥さんは語ります。
2012年取材:渡辺祥子 2012年きりこ:吉川由美
“This is my hometown”
When the kiriko board was installed on the land where her house had once stood, a woman burst into tears of joy, saying, “It makes me happier than if we had rebuilt the house.”
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:38am
02ヤマウチ
ヤマウチ / Yamauchi Seafood Shop
昭和24年創業。先々代は魚の行商を営んでいました。氷もない時代に、毎日何時間もかけて自転車で峠を越え、登米や花泉などを売り歩きました。幼い頃からよく働かせられたと社長は振り返ります。役場の近くの居酒屋に、毎日10回近く一皿100円の刺身盛りを岡持に入れて出前したそうです。本店では、看板娘の90歳になろうかというおばあちゃんが、現役でレジ打ちをしていました。おばあちゃんは今も元気にパークゴルフで大活躍です。新しい商品が次々と産まれる開発力がヤマウチのトレードマークでした。1000近くもの試作を重ね、商品として日の目を見るのは300程度という勢いで、全国に名を馳せる南三陸ならではの商品を創り出して来ました。震災後は地酒の販売も始めました。開拓精神健在です。きりこには、南三陸自慢の「タコ」「魚」と、南三陸の日の出をあしらっています。これはヤマウチで販売しているお酒のラベルです。
南三陸さんさん商店街と沼田の商工団地のお店で営業中です。
2010年取材:佐藤 彩・佐藤由貴 ・宮川 舞
2012年きりこ:吉川由美
“Always smiling while living together with the sea”
The boss of the Yamauchi store has a leadership position in the reconstruction of the town. He is a man who never stops smiling. “Every last thing we had was taken away by the sea, but we have always lived together with the sea, and so we must continue to do so.” With his positive, cooperative approach, Mr. Yamauchi is a beacon of hope in this community.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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