2013年 8月 21日 - 12:48am
38マルエー
マルエー / Maruei Clothing Store
昭和15年に父親が洋品店を開業。
現在のご主人千葉教行さんは2代目。町外で修行したあと、昭和41年に店を継いだときに、店舗の新築と店名の改称を行い、「マルエー」になりました。
震災前に販売していた南三陸Tシャツが、震災後NHKに取材されたことがきっかけで、多くの方々に購入していただきました。お店で奥さんがお客様をおもてなししようと手作りの料理や漬物をふるまったりしてくれる心遣いを、今は宝物のように思えるそうです。
「みんなで力を合わせて、歌津の魅力を大きくふくらませていきたい。美しい海を臨むことができることこそ、大切な町の財産。」
千葉さんはこの町がなくしてはならないものを仲間たちと守りたいと力強く語ってくれました。
きりこには、南三陸Tシャツをデザインしました。
2012年取材:佐藤由美
2012年きりこ:千葉ひろみ
This shop deals mainly with T-shirts and jackets with designs that feature Minamisanriku.
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:44am
20阿部旅館
阿部旅館 / Abe Inn
100年を超える歴史があり6代続いた老舗旅館でしたが、震災で廃業することになりました。女将 節子さんの趣味は「吊るし雛作り」でした。作業に取り掛かると無心になれ、心にゆとりができました。震災後、泥まみれの着物を拾い集めて洗い、汚れていない部分を小さく切り抜き、吊るし雛を作り始めました。一針一針、雛を縫うのです。自分が作った雛人形が、南三陸のことを見知らぬ人たちに伝えてくれる。そう思うと、はりになるといいます。旅館をやっていた時のように晴れ晴れとした笑顔で、節子さんは手製の吊るし雛を南三陸町観光協会のショップに納品に行きます。
2010年取材:阿部静香
2012年取材:吉川由美
2010年きりこ:山内淳子・阿部英恵
“I am making ornamental hanging dolls, one stitch at a time”
The ex-proprietress of this Japanese inn works with kimono cloth that she searched for in the debris of the tsunami, took home, washed, and then made into hanging dolls.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:41am
19松月旅館
松月旅館 / Shogetsu Inn
八幡橋のたもとにあった松月旅館は、四代前まで小料理屋を営んでいたそうです。その名は清水亭。この界隈に小料理屋や旅館が多かったのは、その昔、荷積みした舟が八幡川まで入ってきたからです。この松月旅館前のあたりが、志津川でもっとも古い市場だったのだそうです。荷下ろしをする人々の喧騒、市場の物売りの声、行き交う人々。震災前の風景から、かつてのにぎわいを想像したものです。満月に松、そして舟をあしらった「きりこ」を作りました。
2010年取材:高橋弘美・吉川由美
2010年きりこ:吉川由美
“For the future, the memories of our town, which was once full of boats and bustling with people”
The name of this inn combines the characters for “moon” and “pine tree”. In the old days, there used to be a market in front of the inn and it was always busy with fishing boats. The design features motifs of the moon, pine trees, and boats.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:41am
18静江館
静江館 / Seikokan Cafeteria
「静江館」は大正時代から続く料亭でした。南三陸町では、「静江館」で結婚式や結納をした人が数多くいます。ここから多くの幸せが生まれ、新たな人生がスタートしたのです。震災前「とても数え切れるものじゃない」と奥さんが語っていました。初代の女将は岩手県盛岡市から移り住みました。おさかな通りにあった「カクメイ亭」で数年働き、その後廻館前で料亭を開いたそうです。盛岡から先生を呼んで、踊りや三味線のお稽古もしていたそうです。「静江館」の名前は、震災後、ヤマウチが沼田の商工団地内にある新たに開いた食堂に引き継がれました。多くの人たちの良き思い出が、この店の名前にたくさんつまっているのです。
きりこは、そんな幸せに満ちた花嫁や宴席にまつわるものを切り抜きました。
2010年取材:宮川 舞
2010年きりこ:千葉ひろみ
Sekikokan had always been a popular setting for weddings and other events. The new Seikokan, rebuilt on higher ground, has inherited all the memories of good will that were associated with the original building.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:40am
17菅良商店
菅良商店 / Sugaryo General Store
商いを始めてから、2010年で124年経ちました。6代目です。もともとは山師だったそうです。野蒜築港の際に、建材となる丸太を山積みにした船が難破し、先祖が裸一貫になってしまったという逸話があるそうです。いろいろな商売を経て、瀬戸物や金物。建築資材を商う店になりました。かつて町の人たちは食器をこの店で調達していました。そのため町の人々には、「せとや」と呼ばれていた親しまれていました。昭和12年、志津川が大火の時に、店は全焼しました。菅良商店にはりっぱな石蔵がありました。志津川には土蔵や石蔵が多かったのは、この大火のせいかもしれません。正月などの節目には、菅良商店で食器を買いそろえたという町の人の思い出をもとに、きりこを作りました。現在は商工団地の近くの45号線沿いで商売を再開しました。
2010年取材ときりこ:故 阿部亜紀・佐藤美枝 2012年取材:吉川由美
“Our ancestors started the business from scratch; now it’s my turn to start afresh”
A long, long time ago, this family’s forbears lost everything when the ship that was carrying construction materials for their shop sank. From that time on, they have been running the business, come what may. And so now the current shop owner will re-launch the business from zero.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:40am
16佐藤家
佐藤家 / Sato family residence
五日町でひときわ風情のあるたたずまいだった佐藤家。かつて味噌醤油屋を営んでいました。敷地内には醤油を作っていた土蔵や、醤油を作るもとになったいい水が湧いていた井戸がありました。たくさんの従業員が住み込みで働いていた往時が偲ばれるすばらしいお宅でした。家に子どもが授からない時代が続いた折、子どもが授かり元気に育つようにという願いを込めて、お正月に乳房の形の12個のもちを供えるようになったそうです。もちろん普通のお供えもちや、小豆を混ぜて作る菱餅も作りますので、師走は大忙しでした。佐藤家のなまこ壁の六角形の模様と乳房の形のお供えもちをきりこにあしらいました。ご主人の佐藤久一郎さんは南三陸町森林組合の組合長でもあります。南三陸のもともとの植生を活かして、人々が憩えるようなタブノキの森をつくりたいと考えています。
2010年取材ときりこ:吉川由美
“Be as resilient as the Laurel trees which survived in salt water”
The residence of the Sato family, an established family whose head works as the director of the Forestry Union. The species of Laurel trees that have been long-cultivated in this region were not affected by the tsunami. We aspire to live our lives with the same strength.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:40am
15芳賀家
芳賀家 / Haga family residence
過ぎ去った長い時を感じることができるような、美しい家屋は築100年を越えていました。志津川の大火も1960年のチリ地震津波も乗り越えた美しい家でした。五日町で、500坪という破格の広さの敷地でした。本宅・土蔵・畑・池・蒸蔵・農機具倉庫・庭・長置き場などがありました。本宅の座敷は100畳もあり、冬は寒さが厳しかったですが、夏は風通しが良く快適に過ごせました。裏庭の栗の木には毎年たくさんの栗がたわわに実りました。門のすぐ右側の土蔵は繭の蒸し蔵でした。たくさんの繭を製糸工場におさめていた時代の名残です。チリ地震津波の前までは裏庭に農耕馬を飼っていたそうです。きりこは、この家のシンボルでもあった「馬」を切り抜きました。
長年住んだ家の跡地に、芳賀さんはひまわりの種を蒔きました。「夏になったら、ひまわりがたくさん咲くように」と願いながら。夏の終わりに芳賀さんの家の跡には、たくさんのひまわりが咲きました。
2010年取材:佐藤知子
2010年きりこ:佐藤知子・千葉貴子
“Sunflower seeds were planted in the garden of this home”
The Haga family is an established family in this region. The woman who used to live here planted sunflowers on the plot after her home and garden were swept away.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:40am
14千葉のり店
千葉のり店 / Chiba Seaweed Shop
海産物屋を始めて約100年。当初は壁の材料となるテングサなどを扱っていましたが、40年あまり前、海苔の専門店となりました。現在は3代目。姉妹でがんばってきました。震災前、彼女たちは「日々仕事に精いっぱいだ」と明るく笑っていました。定休日がなくても、姉妹で楽しく働くことが生きがいなのでしょう。「間違いのない商品、お客様に美味しいと言ってもらえるような商品を作り続けていきたい」と言っていました。2010年に千葉海苔店の自慢のヒット商品味付け海苔の袋にも描かれている、マスコットの龍にまたがった「のり太郎」をきりこにしました。いち早く仮設店舗で復活を果たした姉妹。今は南三陸さんさん商店街のお店で、震災前のように忙しくがんばっています。
2010年取材ときりこ:菅原きえ
“Nori Taro is back and the sisters are well”
This nori seaweed wholesaler is run by sisters, and is well known for its delicious toasted nori. The package is decorated with a picture of Nori Taro, a boy riding on the back of a dragon.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:40am
13菓房 山清
菓房 山清 / Yamasei Confectioners
大正12年創業で、今は3代目になる「山清」。初代はせんべいや飴、バナナ焼きなどの駄菓子を小売りし町の商店に自転車で配達もしていました。当時は10キロ先の歌津などにも、自転車で配達をしていたそうです。まだ先駆けだったアイスキャンデーを自転車に積んで、販売していたこともあります。カランカランと鳴らす鐘の音に誘われて、たくさんの子供が集まり、喜んで買っていったそうです。二代目のご主人は東京の製菓学校で和菓子、パン、洋菓子を学び当時地元ではまだなかったショートケーキを20円で発売。地域の学校の給食のパンを30年作り続けました。3代目のご主人は、南三陸ならではの新しい商品開発を熱心に行ってきました。震災後、登米市にあった店に工場を移し、和菓子から洋菓子まで幅広いレパートリーのお菓子を製造しています。パンも多くの人に食べていただこうと移動販売もしています。南三陸さんさん商店街で営業中です。
2010年取材:桐山由季
2012年きりこ:千葉ひろみ
“Cakes that bring happiness to everyone”
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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2013年 8月 21日 - 12:40am
12雄新堂
雄新堂 / Yushindo Bakery
明治の頃、駄菓子屋からスタート、昭和38年から菓子業を営んできました。震災前、いちごショートケーキなどは、1個200円という安さでした。昭和の頃、店の隣の佐又酒屋さんでは飲み屋を営んでおり、その前にバス停がありました。仕事帰りのお父さんがちょっと一杯ひっかけて、気分良くバスを待つ間、家で待つ家族のためにケーキを土産に買っていく人が多くいたそうです。お父さんの限りあるお小遣いでもケーキが200円なら5個は買っていってあげられる。それを思いやった店主が、基本のケーキだけは金額を変えずにがんばっていました。それゆえ「バス停」、「お酒」、「ケーキ」がきりこになりました。震災後も格安のおいしいケーキと、父親が作っていたパンを復活させて、町の人たちを喜ばせています。パン作りのためにご主人は7ヵ月以上、毎朝午前3時起きで一関のパン屋に修行に通ったそうです。南三陸さんさん商店街のお店では、おいしいパンと洋菓子が大評判です。地元のみなさんも観光客も足繁く通うお店として、親しまれています。
2010年取材ときりこ:阿部英恵
2012年取材:吉川由美
“Dad’s bread is back and we’ll be passing it on to the next generation”
Before the earthquake, the owner of this bakery used to produce only western-style cakes. However, when he saw how much the people in evacuation centers enjoyed the taste of bread after so long without it, he resolved to bake bread, as his father had in the old days. To do this, he had to commute every day for six months from his new home in the temporary housing facilities. He did it without fail, even though it is a drive that takes over an hour in winter.
震災前の様子 / Appearance before the tsunami
震災前の住所 / Address before the tsunami
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